醬油や味噌を製造する石川県の老舗蔵元が、チーズケーキや焼き菓子づくりに乗り出しています。キーワードは「発酵」です。豊かな発酵食文化の発信に加えて、美術館とのコラボレーションを企画するなど、地域のにぎわいの拠点にもなっています。
◆糀とチーズの出会い
JR金沢駅から車で約20分。日本海をのぞむ海沿いに、チーズケーキ専門店「こめトはな」があります。カラメルのような香ばしさが漂うなか、ガラスケースに並ぶのは、焼きたての「こめはなチーズケーキ」。地元で生産された新鮮な牛乳を使い、濃厚なチーズの風味が特徴のホールケーキです。
プレーンなど数々の種類があるなかで、ファンが多いのは「ブリュレ」です。バーナーで焼き上げたパリパリとした表面と、しっとりとした生地の食感が対照的。表面のほろ苦さがチーズのコクを引き立たせつつも、後味は軽くさっぱりとした味わいです。
こめはなチーズケーキ
「醬油、味噌を長く製造してきたヤマト醬油味噌ならではのノウハウをいかしています」。同社の営業部長、山本耕平さんは、おいしさの秘密をこう打ち明けます。「一番の特徴は、糀を使っていることです」
糀は、日本酒や味噌、醬油などの発酵に欠かせない発酵菌の一種。さまざまな酵素を生み出し、でんぷんをブドウ糖に変えたり、たんぱく質をアミノ酸にさせたりして、甘みやうまみを生み出していきます。
チーズケーキに使う糀は、味噌づくりと同じ種類です。チーズは大豆と同じようにたんぱく質や脂質が多く含まれ、糀との相性が良いようです。とはいえ、主に和食に使われてきた印象がある糀が、なぜチーズと結びついたのでしょうか。
◆100年企業が続ける挑戦
開発に取り組んできた山本さんは、100年以上におよぶ蔵元の歴史を振り返り、こう語ります。「海外との交流もさかんなヤマト醬油味噌ならではの文化があるのかもしれません」
ヤマト醬油味噌
創業は1911(明治44)年。初代は北前船の船乗りで、金沢で生産された醬油や味噌を北海道に運び、建築資材となる木材を持ち帰る交易をなりわいとしていました。
2代目は醬油製造に軸を移します。地元の大野地区は、白山の伏流水が豊かなうえに、湿潤な気候で港も近く、全国でも5本指に入るような醬油づくりが盛んな地域となっていました。3代目は醬油だけでなく、味噌づくりを始めます。
4代目で、山本さんの父親、山本晴一社長と、晴一さんの弟の山本晋平副社長は、醬油と味噌づくりを継承します。ただ、昭和や平成の時代に日本人の食生活の西洋化が進み、醬油の出荷量が減っていく厳しい時代に入っていきます。ヤマト醬油味噌の存在意義は何だろうか。社内で議論を重ね、企業ブランドを模索するなかで光をあてたのが、糀でした。
糀
魚介や野菜を糀漬けする「かぶら寿司」や「大根寿司」など、金沢では伝統食品に長く親しまれてきた糀。醬油、味噌の製造に欠かせない糀。健康で喜びに満ちた食生活のお役に立てる糀……4代目ブラザーズと呼ばれる山本兄弟は、発酵食文化を通して消費者のライフスタイルに関わる企業を目指します。
営業に力を入れる耕平さんも、発酵食文化を進化させるような挑戦に乗り出します。その一つがチーズケーキの開発でした。背景には、海外のシェフとの出会いがありました。ヤマト醬油味噌は、ヨーロッパやアメリカに醬油を輸出しており、その品質からパリの三つ星レストランからも求められてきました。糀と西洋の食材の組み合わせが自然と思いつくようになりました。
挑戦の歩みをさらに押し進めたきっかけは、コロナ禍の逆境でした。「外出できない時期だからこそ、ご家庭で楽しめる糀のスイーツをつくりたい」。2021年春、チーズケーキの自社工房を立ち上げ、製造販売を始めました。
こめトはな
◆糀から、まちづくり
同社が力をいれる発酵食文化の発信は、まちづくりにもつながっていきます。2010年には、塩糀と糀甘酒をつかった料理教室「糀部」を開講。「部活動」として地域に暮らす人々が「部員」として月1回、糀を使った料理を習い、家庭では「自主練」として発酵調味料を使って料理を作ってもらっています。「糀部で教わった料理を続けていると、家族の体調が良くなった」。そんな声が届くようにもなります。部員は延べ人数で2千人を超え、部活は週1回に増えています。
発酵食文化の発信に力を入れる4代目ブラザーズ
市内の発酵食メーカーと発酵について研究する「発酵食大学」を主導し、2013年に始めました。「いしる」(能登産の魚醬)、「こんか」(魚の糠漬け)などの豊かな食文化を深く学ぶ機会を提供します。古い蔵に手を加え、発酵食を提供する食堂も開きます。北陸新幹線の東京―金沢間が開通した2015年には、敷地内にショップや展示施設を設けた「ヤマト・糀パーク」が誕生。蔵や醬油・味噌を仕込む流れを案内し、糀の働きを紹介するガイドつきツアーもスタートさせました。
従業員が約60人の同社で製造する商品は1千種にのぼります。海外向けの販売も2割ほどを占めています。小さなことからもチャレンジを重ねる姿勢は、多くの社員が保ち続けるよう努めています。「こめトはな」では2022年、醬油の香りがバターと絶妙に混じり合う「焦がし醬油パイ」の商品化にもつながりました。
今年9月には、開館20周年を記念して金沢21世紀美術館が主催する「発酵文化芸術祭 金沢」のプロジェクトにも参加しました。醸造家とアーティストが手を組んで「発酵」をテーマに作品をつくるというコンセプトで、地域の醸造蔵に新作を展示し、訪問者は街をめぐって発酵を体験するといった企画です。
発酵文化芸術祭の一場面
金沢市内の醸造家と作家、美術館を繋ぐホストの役割を果たした耕平さんは、こう話します。「醸造家と作家さんは相性がいいんです。微生物たちの力を借りて発酵食品をつくることは、常に目に見えない微生物と対話すること。見えない何かを大切にするアートと、重なるところがあるのかもしれません」
◆災害からの復興
2024年は改めて発酵食文化を見直す年にもなりました。元日に発生した能登半島地震では、石川県内に被害が広がり、いまも復興に向けて歩みを進めています。
復興に向けて
ヤマト醬油味噌では、本社の蔵の壁が倒壊し、能登で「いしる」の原料となる魚を扱う協力工場も大きな被害を受けました。仕込みタンクが横倒しになり、熟成中だった多くの「いしる」が流れ出てしまいました。工場の再建だけでなく、いしるの熟成には1年以上の月日が必要で、流通再開の見通しは不透明です。
石川県では、被災した蔵元も少なくありません。それでも、復活を望む顧客の声がたくさん届いています。「うちの味には、御社のいしるが欠かせないんだ」「いつからいしるづくりが再開できるのでしょうか」。
山本耕平さん
耕平さんは言います。「途絶えさせてはならない発酵文化がある、と責任を感じています。昨今、食といえば時短ばかり取りあげられがちですが、いつもの味には日常を取り戻す力があると気づくことができました。料理をして、大切な誰かに食べてもらう。当たり前の食のシーンを私たちは支えたいです」。その中心に糀をすえ、ヤマト醬油味噌の新たな挑戦は続いていきます。
(野村雅俊)
(写真はヤマト醬油味噌提供)
クイズに正解された方のなかから、ヤマト醬油味噌の逸品をプレゼントします。
▼こめはなチーズケーキ(ホール)ブリュレ
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▼ オーガニック3点セット
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▼一汁一菜に一糀セット
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プレゼント応募締切:2024年12月10日16時