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草加せんべいをこよなく愛する男の子

パリポリくん(埼玉県草加市)

巨大な草加せんべいを両手に持つパリポリくん。東京外環道(国道298号)沿いに立つ草加市のカントリーサインにかつて描かれていたキャラクターが由来という
巨大な草加せんべいを両手に持つパリポリくん。東京外環道(国道298号)沿いに立つ草加市のカントリーサインにかつて描かれていたキャラクターが由来という
巨大な草加せんべいを両手に持つパリポリくん。東京外環道(国道298号)沿いに立つ草加市のカントリーサインにかつて描かれていたキャラクターが由来という 2017年に埼玉県羽生市で開催された「世界キャラクターさみっと」で、草加市をPRする「草加さわやかさん」と笑顔で写真に納まるパリポリくん 草加市を象徴する国指定名勝「おくのほそ道の風景地 草加松原」は江戸時代の俳人の松尾芭蕉も歩いた

 首都圏周辺のご当地キャラクターを紹介する「ご当地キャラ大集合」。第2回は埼玉県草加市の「草加市観光大使 パリポリくん」です。

 パリポリくんは草加市の特産品「草加せんべい」が大好きな5歳の男の子です。草加市周辺は江戸時代から稲作に適した土地でした。良質な米と水に加え、しょうゆの一大産地、千葉県野田市にも近く、せんべいの材料に恵まれていました。綾瀬川や中川で農産物や特産品を運ぶ舟運が発達すると、江戸に運ばれた草加せんべいは評判を呼びました。

 1630(寛永7)年、日光街道の宿駅として草加宿が開かれると人々の往来でにぎわい、その約60年後には俳人の松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で草加宿に立ち寄った足跡が残っています。芭蕉も草加せんべいをほおばったのでしょうか。

 白の長袖シャツに青のつなぎを着こなし、巨大な草加せんべいをパリポリと音を立てて元気よく食べることから名付けられたパリポリくん。市内を走る東京外環道(国道298号)沿いに設置された、草加市のカントリーサインに描かれた男の子がルーツといわれています。国土交通省関東地方整備局に問い合わせてみましたが、「作者は不明で、記録も残っていない」との回答でした。2004年、地元開催の「全国せんべいサミットinそうか」でご当地キャラとしてデビュー。07年、草加煎餅(せんべい)協同組合と草加地区手焼煎餅協同組合が共同で商標登録し、13年には市の観光大使に任命されました。現在、パリポリくんをあしらったコミュニティーバスが市内を走り、市民に広く受け入れられています。

 そんなパリポリくんがこよなく愛する草加せんべいは、農家が余った米を保存するため団子状にして乾かし、茶屋で販売したのが始まりとされています。大正時代に陸軍が川越で行った大演習で、県の名産品として大正天皇に献上されたのをきっかけに、知名度が全国で高まりました。

おせんさん

 せんべいにまつわるエピソードとして、戦前に創作されたといわれる「おせんさん」の物語があります。日光街道の宿場町として栄えていた頃、茶屋で旅人相手に団子を売っていた「おせんさん」という女性がいました。売れ残ってしまう団子をどうしようかと悩んでいた時、通りかかった侍に「団子を平たくつぶして天日で乾かし、焼き餅として売ってはどうか」と言われ、そのようにしたところ、名物となった、というものです。このお話があまりにも有名になり、市内には彼女の名を冠した「おせん公園」「おせん茶屋公園」ができました。草加駅前の広場には、せんべいを手焼きするおせんさんの像が置かれ、憩いの場のシンボルとして親しまれています。

 パリポリくんはしゃべれませんが、市の観光大使に選ばれた際、担当職員が「草加の街を明るく元気にアピールしたい」といきごみを代読しました。宣言通り、毎年開催される朝顔市のほか市内外のイベントに積極的に参加しています。2018年6月24日(日)には、東京都荒川区、あらかわ遊園の「あらかわ遊園水辺フェスタ」で物販や観光のPR活動をします。

 職人が一枚一枚丁寧に手焼きする草加せんべい。その伝統と歴史から生まれたパリポリくんは、今日もせんべいを両手に持ち、PRソング「まるいしあわせ」に乗って草加市の魅力を全国に伝えていますよ。

(大野紗弥佳)

 

memo

草加市 データ

・1958年11月1日、市制を施行
 2018年11月1日で市制60周年を迎える
・人口 24万7991人(2018年1月1日時点)
・面積 27.46平方キロメートル

・市ゆかりの著名人
 豊田三郎、森村桂(いずれも小説家)、加藤凌平(体操選手)、神野卓哉(元プロサッカー選手)ら。

 

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(2018年6月21日掲載。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は更新時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)