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カメラ 日本カメラ博物館

今も昔も変わらない仕組み

ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ 1839年
ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ 1839年
ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ 1839年 銀板写真 「利七像」 1851年ごろ 現在はパネル展示

 第2次世界大戦後、国内の光学会社の多くはカメラメーカーに転じ、製品は復興資金源として海外へ輸出されるようになりました。1954年、カメラの品質を保つために設立された検査機関が当館の前身です。やがてメーカーの技術力が向上して検査が不要に。当館は写真・映像文化を支える博物館として89年に開館。国内外のカメラ1万点以上を所蔵しています。

 1839年、世界で最初に市販されたのが仏ジルー商会の「ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ」。銀めっきした銅板を感光材料として使い、B5判ほどの銀板写真が撮影できる画期的な写真術でした。箱の中に箱があり、ひきだしのように前後させてピントを合わせます。レンズにフタがついており、その開閉で光を入れます。露光時間は天気によりますが、数十分かかったとされ、静止しているものしか写りませんでした。実はカメラそのものの仕組みは、昔も今も変わりません。

 日本にカメラが導入されたのは48年。日本人が日本人を撮影した最古の写真は薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)の肖像(57年)だと言われていますが、日本人が被写体になった、より古い写真の一つは、51年ごろの銀板写真「利七像」と考えられています。利七は、江戸から摂津に向かう樽廻船(たるかいせん)「栄力丸」に乗船していた17人のうちの1人でした。船は嵐に遭い漂流しますが、米国籍の船に助けられて同国に上陸します。その際に日本人の記録として、米国人が撮影しました。

(聞き手・渋谷唯子)


 《日本カメラ博物館》 東京都千代田区一番町25(問い合わせは03・3263・7110)。午前10時~午後5時。300円。(月)((祝)の場合は翌日)休み。2点は常設展で展示。6月1日まで臨時休館。

石王咲子

 学芸員 石王咲子

 いしおう・さきこ 1999年から同館勤務。カメラ、写真、写真関連書籍のうち、カメラを担当。博物館学芸員実習など、教育、普及分野を担当。

(2020年4月7日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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