機械製材と電動工具の普及によって使う職人が激減した手道具。当館は、大工道具を民族遺産として残し伝えるため、1984年に開館し、国内外の大工道具を中心に約3万5千点を収蔵しています。
千代鶴是秀(ちよづるこれひで)(1874~1957)は、意匠と機能性から「不世出の名工」と呼ばれた道具鍛冶(かじ)です。米沢藩(現在の山形県)上杉家に仕えた刀匠の家の三男で、東京生まれ。誕生の2年後には廃刀令が出されます。刀鍛冶から道具鍛冶に転向したおじの8代目石堂寿永に11歳で弟子入りしました。1892年から千代鶴を名乗り、その道具を使った棟梁(とうりょう)らの評判で名をはせ、使うためではなく神棚に飾るために求めた職人もいたほどでした。
道具鍛冶と大工のつながりの深さを物語る道具の一つが「江戸熊の鑿(のみ)」。是秀の評判を聞き、入手を切望した大阪の大工・江戸熊が、代筆を頼んで清書した手紙に戸籍謄本まで添えて是秀に製作を依頼した組鑿です。面識のない者からの注文はあまり受けなかった是秀ですが、江戸熊の熱い思いに心打たれたのか、製作を引き受けました。
玄能「山彦(やまびこ)」には是秀が使ってきた銘刻印が8種類残されています。多くの銘を使っていたのは、贋作(がんさく)防止の一環でもあります。その一つ「毛六」は「千代鶴はもうろくした」という世評を受けての銘。ユニークな由来です。無理解な評価や贋作などの悩みの種も、名工ゆえについてまわったんですね。
(聞き手・高木彩情)
《竹中大工道具館》 神戸市中央区熊内町7の5の1(問い合わせは078・242・0216)。
当面は午前9時半~正午と午後1時~4時の2部制(いずれも入館は30分前まで)。
500円。
原則(月)休み。
学芸員 能見雅子 のうみ・まさこ 2015年から同館勤務。企画展「洋菓子の道具たち 型で味わうお菓子の歴史」を手がけた。 |