当館は、銅版画家・浜口陽三(1909~2000)の2千点に及ぶ作品や資料を収蔵しています。パリを拠点に活躍した浜口の歴史上の功績は、モノクロの銅版画技法「メゾチント」に色彩表現を取り入れたことです。
メゾチントは、銅板の表面に特殊な道具で傷をつけ、その溝を削ったりつぶしたりして、黒の濃淡を表す技法。浜口は試行錯誤の末、黄・赤・青・黒と4版を重ねる「カラーメゾチント」を生み出しました。1枚を仕上げるにも大変な版を4枚制作するのですから、労力が必要な上、10分の1ミリの狂いも許されない繊細な作業で、年に数点ほどしか発表されませんでした。
「さくらんぼ」は6枚組みの中の1点。色の帯の上に、四つのさくらんぼが並んでいます。たださくらんぼがある、という静物画ではない、不思議な構図の静かな世界です。画面の背景は単純な黒一色ではなく、何色ともつかない色。闇に微光があり、さくらんぼも光をまとい、詩や哲学の断片にも見えます。彫刻や油彩を手掛けた浜口がたどり着いた、この技法でしか生み出せない、澄んだ奥深い表現は、印刷では伝わらないかもしれません。手作業ならではの柔らかなニュアンスに、浜口は生涯こだわりました。
「パリの屋根」は美術の教科書などで知られた代表作と同名で、翌年に制作された作品です。カラーメゾチントという技法の神秘的な色みがよく出ていて、見つめていると自然に息をひそめてしまいます。
(聞き手・白井由依子)
《ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション》 東京都中央区日本橋蛎殻町1の35の7(問い合わせは03・3665・0251)。2点は12月20日まで展示。 午前11時~午後5時[(土)(日)(祝)は10時から、12月4日と18日は8時まで。入館は30分前まで]。600円。(月)休み。
主任学芸員 神林菜穂子 かんばやし・なほこ 2005年から勤務。「秘密の湖」、「浜口陽三・丹阿弥丹波子 二人展 はるかな符号 大岡亜紀の詩と共に」などの展覧会を手がける。 |