当館のある帝京大八王子キャンパス内の「上っ原遺跡」から出土した「赤彩球胴甕」は、古代の朝廷がエミシ(蝦夷)と呼んだ人々が作ったものと考えられています。
奈良時代から平安時代の初め、朝廷はエミシを武力で従わせ、東北から全国へ強制移住させたことが「続日本紀」などの記録から分かっていますが、この甕はここ武蔵国にもエミシが移り住んでいた可能性を示す資料です。
上っ原遺跡は1996年から97年に調査が行われました。発掘に携わった帝京大文化財研究所の平野修(58)によると、当初は粉々に割れていたこともあり、ありふれた古墳時代の甕の破片だと考えられたようです。
しかし数年後、報告書作成のために破片を組み上げたところ、肩から胴が張り出した形状、全体を赤く塗り、口縁部に赤で縦に棒状の文様を施したデザインなど、9世紀に関東で作られた他の土器とは全く異なる特徴が明らかになりました。
全国の遺跡の発掘報告書を片っ端から調べると、岩手県の北上盆地で集中して出土している甕と似ていることがわかりました。東北以外ではこれが唯一の出土事例です。甕に使われている土は多摩川水系のもので、甕が東北から運ばれたのではなく、八王子付近で作られたこともわかりました。
同じ場所から出土した牛の骨は、火であぶって骨髄を取り出し、動物の皮をなめすために使ったと考えられます。上っ原遺跡から数キロの場所には「小野牧」と呼ばれる牧場があったと推定され、エミシは牛や馬を飼っていた可能性もあります。
(聞き手・高田倫子)
《帝京大学総合博物館》 東京都八王子市大塚359(問い合わせは042・678・3675)。午前9時~午後5時(入館は30分前まで)。無料。日祝休み。赤彩球胴甕は3月末まで貸し出し中のためレプリカを展示。
学芸員 堀越峰之 ほりこし・みねゆき 帝京大卒業後、東京学芸大大学院修了。群馬県館林市教育委員会を経て、現職。 |