日本に活版印刷技術がもたらされたのは16世紀末。欧州から天正遣欧少年使節団を通じて、アジアから朝鮮出兵した豊臣秀吉を通じて、違う文化圏の技術が偶然同時期に伝わりました。
活版印刷とは金属製や木製の活字を並べ組み版を作る印刷法。1枚ずつ版を彫り上げる木版などとは異なり、活字をそろえれば様々な文章を印刷できることが利点です。
「駿河版銅活字」は、日本人の手による最初の銅活字です。徳川家康が林羅山と金地院崇伝(こんちいんすうでん)に命じて、1606~16年に大小約11万個を作らせました。この頃家康は静岡・駿府城に隠居したため、この名前で呼ばれています。
製作にあたり、秀吉が後陽成天皇に献上した朝鮮の銅活字が参考にされています。木製の種字を砂に押し当て型を取り、溶かした銅を流し込みます。活字の鋳造は、貨幣の鋳造技術と近いものと考えられます。
この活字を使い、中国唐代に帝王学を説いた書物「群書治要」47巻などが駿府城で印刷されました。家康が各地の大名に「刀で人を治めることは行わない」と示す意図と考えられ、のちの文治政治につながる活動ともいえます。その後、火災で多くが焼失しましたが、残った約3万8千個は重要文化財に指定されています。
「嵯峨本」は、京都の豪商・角倉素庵(すみのくらそあん)が手がけた、民間人による初の出版物です。木活字を用い、「伊勢物語」「方丈記」など古典文学を仮名まじり文で出版しました。つなぎ文字の仮名を表現するため、1~5字で一つの活字が作られました。この時代に仮名を活字として扱う難しさがうかがえますね。
(聞き手・高木彩情)
《印刷博物館》 東京都文京区水道1の3の3 トッパン小石川ビル(問い合わせは03・5840・2300)。午前10時~午後6時(入館は30分前まで)。当面の間予約制。400円。原則月曜日休み。
学芸員 中西保仁 なかにし・やすひと 開館の2000年から勤務。企画展「ヴァチカン教皇庁図書館」「空海からのおくりもの」などを担当。 |