彦根城表御殿を復元した当館は、彦根藩主井伊家の伝来品を中心に約9万1千件の資料を収蔵しています。
初代藩主直政(1561~1602)は徳川家康に重用され、関ケ原の戦いで活躍するなど徳川四天王に数えられた武将です。1582年ごろから部隊の甲冑(かっちゅう)、旗指し物などを赤色で統一した「赤備え」とし、小牧・長久手の戦いなどで武功を挙げ「井伊の赤鬼」と恐れられました。
なぜ赤色なのかは諸説ありますが、甲斐(かい)武田氏の遺臣を直政の下に付けた家康が、赤備えで知られた武田の有力武将・飯富虎昌(おぶとらまさ)の勇猛さにあやかって軍装も倣うよう命じたと「井伊年譜」に記されています。敵味方が入り乱れた戦場で目立つ色であり、軍全体が同じ色を使うことで士気を高め敵を威嚇するといった意味も込められていたのかも知れません。
以来江戸末期に至るまで、彦根藩では赤備えが受け継がれました。「朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足(しゅうるしぬりこんいとおどしおけがわにまいどうぐそく)」は当館が所蔵する藩主ら所用の25領の甲冑の中でも古いもので、直政の所用と伝えられています。
赤い部分は鉄製で朱漆塗り、紺色の絹糸でつなぎ合わせています。かぶとの鉢につけた立物(たてもの)を井伊家では「半月」と呼び、長さは約80センチあります。金箔(きんぱく)を貼った木製で、見た目ほど重くはありません。半月をかぶとの左右に立てるのは当主の象徴です。
馬印(うまじるし)は、戦場で大将の居場所が分かるよう示すものです。傘やヒョウタン、扇など意匠は武将により様々ですが、井伊家の馬印は赤い房のついた金色の「蠅(はえ)取り」です。「関ケ原合戦図」には、さおの先にこの馬印をつけて掲げている様子が描かれています。
(聞き手・高田倫子)
《彦根城博物館》 滋賀県彦根市金亀町1の1(問い合わせは0749・22・6100)。〔前〕8時半~〔後〕5時(入館は30分前まで)。500円。甲冑は4月上旬まで展示予定。
学芸員 古幡昇子 昭和女子大学大学院修士課程修了。2013年から現職。井伊家伝来の武器・武具を担当。企画展「彦根藩士の甲冑」などに関わる。 |