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セイコーミュージアム銀座

「一刻(いっとき)」の伸び縮みに知恵絞る

セイコーミュージアム銀座
「二挺天符目覚付袴腰櫓時計」 江戸時代 総高114センチ、機械部分の高さ34センチ×幅11センチ。左は「火屋(ほや)」と呼ばれるカバー。時計の台座と火屋は螺鈿(らでん)装飾
セイコーミュージアム銀座 セイコーミュージアム銀座

 当館は、1881年創業の輸入時計の販売と修理業、服部時計店から始まるセイコーホールディングスが運営する企業博物館です。歴代の自社製品をはじめ「時と時計」に関する資料約2万8千点を収蔵しています。

 「二挺天符目覚付袴腰櫓時計(にちょうてんぷめざましつきはかまごしやぐらどけい)」は江戸時代の和時計です。和時計とは、16世紀にキリスト教と共に伝来した西洋式の機械時計を、日本独特の不定時法に合わせるために改良した時計です。

 明治初期までの日本では、日の出と日没を基準に1日を昼と夜に分け、それぞれを6等分して「一刻(いっとき)」とする不定時法を採っていました。昼と夜で一刻の長さは違い、季節によっても変わります。

 当初は天符と呼ばれる横棒の両側につけた分銅の位置を毎日朝夕に動かして運動速度を調節していました。17世紀半ば、昼用と夜用の2本の天符を備え、自動的に切り替わる二挺天符が考案されました。分銅の調整は二十四節気ごと、つまり15日に1回程度で済み、大変便利になったのです。

 ただいずれにしてもこうした時計を動かすには、専門の知識と定期的な管理が必要で、持ち主は将軍、大名、大商人らの一部の層に限られました。

 「初代セイコー」は、初めて「SEIKO」ブランドが使用された商品です。服部時計店は1892年、「精工舎」を設立して時計製造に乗り出します。第1次大戦を機にアジアへの輸出も伸ばしますが、関東大震災で工場が全焼。残った試作品をもとに製造された腕時計で、創業以来の危機を乗り越えた象徴的な商品です。

(聞き手・隈部恵)


 《セイコーミュージアム 銀座》 東京都中央区銀座4の3の13 セイコー並木通りビル(問い合わせは03・5159・1881)。予約制。無料。(月)、年末年始休み。当面の間臨時休館。

かみやま・めぐみ

学芸員 神山めぐみ

 かみやま・めぐみ 2016年から現職。日本郵船歴史博物館との共催展「時計×航海」などを担当。

時計の博物館 THE SEIKO MUSEUM GINZA

https://museum.seiko.co.jp/

(2021年8月3日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)