農業を専門的に学び教えながら、芸術の豊かさも伝えようとした大伯父の宮沢賢治(1896~1933)。当館では直筆の書や絵、愛用のチェロや収集品の浮世絵やレコードなど約5千点を収蔵しています。
小さいころから鉱物採集が好きだった賢治は、故郷の岩手県花巻市で土壌改良に取り組みます。1926年、教壇に立っていた花巻農学校を辞め、自ら野菜や花を栽培するかたわら「羅須地人協会」を始めました。しばしば深刻な冷害に苦しんでいた当時の東北。収穫高の安定を目指し、土壌学や肥料学など外国語の専門書の内容をかみくだいて農学校に通えないお百姓さんたちに教えるためでした。
「教材絵図」は協会の講座のために自作したもので、鉛筆の下書きの上に墨、絵の具、パステルで描かれた49点が残っています。発芽の過程を説明する「根毛」の絵図では、白く細かい根毛の生え方を見せるため、背景を黒く塗っています。「細胞分裂」では染色体の動きが丁寧に図示されています。
冷害に強いイネの発芽に適した覆土の深さ、米粒の構造や葉や茎の断面図などを解説した絵図もあり、いずれもわかりやすさを工夫した跡が読み取れます。スケッチや絵画もたしなんだ賢治は楽しんで描いたのではないでしょうか。
「雨ニモマケズ」は肺病で寝たきりとなった賢治が病床で手帳に書き付けた文章です。この直前、病状が悪化した出張先の東京では遺書をしたためています。通常創作に使った原稿用紙ではなく手帳に書かれたことからも、「雨ニモマケズ」は詩作というより、死を意識した賢治が自分を主語として書いた生の声だったのではないかと思っています。
(聞き手・山田愛)
《宮沢賢治記念館》 岩手県花巻市矢沢1の1の36(問い合わせは0198・31・2319)。午前8時半~午後5時。350円。12月1~3日、年末年始休み。9月12日まで臨時休館。
学芸員 宮澤明裕 みやざわ・あきひろ 祖父は宮沢賢治の弟・清六。幼少期から岩手県花巻市の祖父宅で過ごす。宮沢賢治学会イーハトーブセンター事務局職員を経て2015年4月から現職。 |