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早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

時代の最先端 映した新派

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
「山口一座 恋のピストル」 五代歌川国政 1900年 大判錦絵3枚続(1枚35×24.5センチ)
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

 世界でも有数の演劇専門総合博物館である当館は昭和3(1928)年に設立、収蔵品は舞台写真、上演資料など100万点を超えます。現在は新派という演劇の多面性を問い直す企画展「新派 SHIMPAーーアヴァンギャルド演劇の水脈」を開催中です。

 歌舞伎(旧派)の影響を受けながら独自の写実芸を確立した新派は、明治20年代に政治青年たちが自由民権思想の啓蒙のために興した「改良演劇」が遠祖といわれます。芸術至上主義を目ざす一派も現れ、30年代後半から「新派」の名が定着しました。明治大正期は時事ネタや三面記事的事件、翻訳・翻案劇や同時代の作家の作品などを扱い、時代の最先端の風俗や文化を反映していました。

 錦絵「山口一座 恋のピストル」は、歌舞伎の女形から転身した山口定雄(1861~1907)が主人公の書生とヒロインの芸妓を一人二役で演じた芝居です。日清戦争を背景に、当時の新派でおなじみだった法廷場面やスピーディーな舞台転換、山口の早変わりが見どころだったようです。

 当初は多くの場合、女性役を女形が演じましたが、次第に女優も舞台に立ち始めます。新劇や映画で活躍した初代水谷八重子(1905~79)が昭和3年に松竹と専属契約を結び、新派の一座と舞台を共にするようになると、女優と女形が共存する独特の様式が発展していきました。

 「お蝶夫人 水谷八重子丈」は、オペラで有名な「蝶々夫人」の原作を上演した際の八重子を描いた木版画。人気俳優をその当たり役で描いたシリーズの一枚です。

 八重子は常に〝現代〟を志向し、戦後は〝新派悲劇〟のイメージを脱却すべく、家庭劇を基盤とする〝新派喜劇〟を模索しました。草創期のテレビドラマに関わった多くの新派関係者を通じて、その水脈はホームドラマにも流れていったと考えられます。

(聞き手 高田倫子)


 《早稲田大学坪内博士記念演劇博物館》 東京都新宿区西早稲田1の6の1(問い合わせは03・5286・1829)。企画展は2階企画展示室にて1月23日(日)まで。午前10時~午後5時(火・金は7時まで)。1月5日までと10日休み。「家族の肖像ーー石井ふく子のホームドラマ」展も同時開催中。

ごとう・りゅうき

助教 後藤隆基

 ごとう・りゅうき 立教大大学院修了。2019年から現職。専門は近現代日本演劇・文学。著書に「高安月郊研究 明治期京阪演劇の革新者」(晃洋書房)。

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

https://www.waseda.jp/enpaku/

(2021年12月28日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)