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ふじのくに茶の都ミュージアム 

製茶を効率化 輸出の花形に

製茶小屋の一部を再現した展示。左手前から粗揉機(1959年)、揉捻機(52~62年)、中揉機(59年)、右奥から精揉機(57年)、乾燥機(52~63年)
製茶小屋の一部を再現した展示。左手前から粗揉機(1959年)、揉捻機(52~62年)、中揉機(59年)、右奥から精揉機(57年)、乾燥機(52~63年)
製茶小屋の一部を再現した展示。左手前から粗揉機(1959年)、揉捻機(52~62年)、中揉機(59年)、右奥から精揉機(57年)、乾燥機(52~63年) 蘭字 33×26センチ

 静岡・牧之原台地の茶畑に囲まれ、約1万9千平方メートルの敷地に茶室や庭園も備えた当館は、茶の歴史や文化を紹介する展示や、茶摘み・手もみ体験などを行っています。

 静岡の茶畑の多くは明治維新後に開墾されました。全国一の茶どころとなるには、主要輸出品として生産が奨励されたことや、茶もみ作業が機械化されたことが影響しました。茶の商品化には、いくつかの工程を経て大量の水分を抜く必要があるためです。

 展示している製茶機械は60~70年ほど前のもので、水力を動力とした山間地域の製茶小屋を再現。稼働できる状態で現存しているものは大変貴重です。

 収穫した生の茶葉は蒸した後、粗揉機で強く揉みながら熱風乾燥、揉捻機で加圧して茶葉の水分を均一にします。次に中揉機で弱く揉みながら低めの温度の熱風で乾燥、精揉機で針のような形にします。最後に棚のような乾燥機に入れ、「荒茶」になります。

 手もみでは1人が2・5キロの生葉を4~5時間かけて0・5キロの荒茶にしましたが、展示の機械の場合、同じ時間で10~15キロの生葉を加工できます。

 静岡の茶は当初、横浜港経由で輸出されましたが、米国への直行便が就航した明治末以降は清水港から直接輸送される量が増えました。

 輸出用の茶箱に貼られた多色刷り木版画のラベルが「蘭字」です。「蘭字」とは西洋の文字の意味で、アルファベットで茶のブランド名(商標)、等級、製法、仕向け地などの情報が盛り込まれました。

 花、動物、風景、人物などブランド名にちなんだ様々な絵柄のものが残っています。同様に美しい絵が貼られた木製の茶箱とともに、戦前は米国、戦後は北アフリカといった主な輸出先で愛好されました。

(聞き手・栗原琴江)


 《ふじのくに茶の都ミュージアム》 静岡県島田市金谷富士見町3053の2(問い合わせは0547・46・5588)。午前9時~午後5時(入館は30分前まで)。

白井満

副館長兼学芸課長 白井満

 しらい・みつる 1982年静岡県入庁。茶業農産課長、農林事務所長などを経て2018年から現職。日本茶インストラクター、中国茶芸師の資格を持つ。

(2022年2月8日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)