1988年開館の当館は、私の祖父が創業したボタンメーカーを継いだ父が、商品開発の参考にするため海外で収集したボタンやバックル約7000点を収蔵しています。
「薩摩ボタン」は幕末以降、欧米への輸出を目的に作られたものです。1867年のパリ万博に花びんやつぼなどが出展された薩摩焼は、色絵や金彩の華麗な絵付けが人気を博しました。
鹿児島だけではなく東京や京都、横浜、金沢などでも作られるようになり、特に、京都で作られた京薩摩は絵付けのレベルが高く、たとえば女性を描いたものでは瞳や髪の毛1本に至るまで丁寧に描かれています。薩摩産は裏に島津家の家紋である「丸に十字」がみられるものもあります。
これらの薩摩ボタンは西欧のジャポニスム流行を背景に、実用というより装飾用として、または収集の対象として求められたと考えられます。
「ミクロモザイクボタン」は18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで流行しました。金の土台の上に、多いものでは数千個もの色ガラス片を並べて聖堂の壁画などにみられるようなモザイク画を組み立てます。古代遺跡などが描かれたものは、学業を終えた英国貴族の子弟らがイタリアやフランスを周遊した旅行のお土産として人気がありました。
ボタンの歴史をさかのぼれば木や貝、動物の骨や角などを削って作られたものが古代エジプトで発見されていますが、衣服の留め具として広く使われるのは18世紀以降です。
それ以前は貴族のぜいたく品で、太陽王と呼ばれたフランスのルイ14世は結婚するめいにダイヤモンド付きのボタンを50個贈ったという逸話が残っています。
(聞き手・田中沙織)
《ボタンの博物館》 東京都中央区日本橋浜町1の11の8の2階(問い合わせは03・3864・6537)。午前10時~午後5時。2点は展示中。500円。(土)(日)(祝)、年末年始休み、夏季休業あり。完全予約制。
ボタンの博物館館長 大隅洋さん おおすみ・よう ボタンやアクセサリーなどの服飾資材を扱うアイリス代表取締役。アイリスは1946年に祖父が創業した。 |
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