55歳から全国を測量、約3.5万キロもの距離を歩いて、初めて実測による日本地図を作り上げた伊能忠敬(1745~1818)。当館は名主を務めた千葉県北東部の佐原村(現香取市)の旧宅向かいにあり、所蔵する資料2345点全てが国宝に指定されています。この中には地図製作の舞台裏をうかがえる資料も多くあります。
現在の三重県を表した「志摩国絵図」は忠敬が測量の参考に集めた国絵図の一つです。国絵図とは各藩が村々に命じて測量図を提出させ、国ごとにまとめた地図です。
左側の青い海に浮かぶ10以上の小島の付近に、丸みを帯びた忠敬直筆の書き込みがあります。山の名や、黄色で囲まれた村々を記す筆跡とは明らかに異なり、忠敬自身が参考にしたことがわかります。
忠敬は隠居後に江戸に出て、50歳からかねて関心のあった天文暦学を学びます。正確な暦を作るためには測量で地球の大きさを知る必要がありました。国防上の要請から蝦夷地の地図作製を急いだ幕府の思惑と一致して測量がかないました。これを皮切りに10次にわたった全国測量の後半は幕府直轄事業となり、各藩の協力も得やすくなったでしょう。
「景敬書簡」は家督を継いだ長男・景敬が、九州測量に出かけている忠敬に宛てた手紙です。蝦夷地の地図が評価され、忠敬が幕臣に取り立てられると弟子や下役が増え、深川に構えた隠居宅が手狭になりました。広い家へ移るにあたり、景敬が深川の家の処分方法を父に相談する内容です。
全国を214枚で表す「大日本沿海輿地(よ・ち)全図」の大図(3万6千分の1)は江戸城の大広間でも広げきれないほどでしたから、地図製作は広いスペースなしには進みません。忠敬の偉業の裏側が知れるユニークな資料です。
(聞き手・島貫柚子)
《伊能忠敬記念館》 千葉県香取市佐原イ1722の1(問い合わせは0478・54・1118)。午前9時~午後4時半。500円。(月)、12月29日~1月1日休み。
学芸員 石井七海 いしい・ななみ 一橋大学大学院卒。2021年から現職。企画展「渾天地球の妙を描く―伊能忠敬の学びと挑戦―」などを担当。 |