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古河歴史博物館

「雪の殿様」側近がプロデュース?

「雪華図説」 土井利位著 1832(天保3)年刊
「雪華図説」 土井利位著 1832(天保3)年刊
「雪華図説」 土井利位著 1832(天保3)年刊 雪華文蒔絵印籠 原羊遊斎作 国重要文化財

 「雪華図説」「続雪華図説」は、雪の結晶を観察した成果をまとめた日本初の図鑑です。古河城(現茨城県)主で幕府の老中を務めた土井利位(1789~1848)によって刊行されました。

 利位が20年以上にわたり公務の合間に観察・記録した結晶は183種類に上ります。判明している観察地は江戸、大坂、京都で、こうした場所で観察可能だったのは、天保の飢饉が起こるほど寒冷化していた気象によるところが大きいという指摘もあります。

 雪華図説によると、観察方法はおおむね次の通りです。 「雪の降りそうなときに黒繻子を外気に晒して冷やしておき、雪片を受ける。ピンセットで漆器上に移して鏡を使って観察する。明かりを照らすと燦然と輝く」。「鏡」とは、おそらく顕微鏡といってよいのでしょう。当時すでに西洋からの輸入品や国産品が存在していました。

 利位は三河国(現愛知県)刈谷藩主の土井家に生まれ、25歳の時、本家にあたる古河藩主土井利厚の養子に。跡を継いで藩主となり、大塩平八郎の乱における功績もあり老中まで昇進しました。

 雪の観察を利位に勧めたのは側近で、後に家老となる鷹見泉石と推定されます。渡辺崋山の描く国宝の肖像画のモデルとして知られる泉石は、人脈を活用して多彩な情報収集活動を行い、主君を助けました。雪の結晶観察を勧めたのも、利位の存在感を幕閣の中で際立たせ、出世にかなう人物であるとアピールする目的だったようにも思われます。

 元来好奇心旺盛な利位は雪の結晶観察に魅せられて夢中になる一方、結晶をデザインとしても活用しました。「雪華文蒔絵印籠」は、泉石が藩の蒔絵師に作らせたものです。利位の官名にちなんで「大炊模様」と呼ばれるようになったといわれる雪華文の使用は、泉石だからこそ許されたのかもしれません。

(聞き手・三品智子)


 《古河歴史博物館》 茨城県古河市中央町3の10の56(問い合わせは0280・22・5211)。午前9時~午後5時(入館は30分前まで)。400円。原則月、第4金休み。2月26日まで「雪の殿さま 土井利位」展を開催中。

ながよう・としひこ

学芸員 永用俊彦

 ながよう・としひこ 東洋大学大学院文学研究科修士課程修了。1990年から現職。専門は日本近世史。

(2023年1月17日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)