当館は2001年、京都で開業する眼科医の奥沢康正と、いとこで代々外科医院を営む家に生まれた竹岡友昭が開館しました。2人が祖先から受け継いだ医家道具や、収集したり寄贈されたりした診断器械や治療用具約3千点を、明治時代の診察室で展示しています。
平たい箱に並ぶチョコレートのようなものは、国産の義眼の見本です。病気やけがで眼球を失った場合に用いる義眼は、摘出部分の保護のほか、外観を改善し患者の精神的負担を和らげるためにも必要なものです。クルミの実で作られたものも残っていますが、19世紀にフランスやドイツでガラス製が作られました。国内にも明治初めに輸入され実際に使われたようです。
輸入品は高価で虹彩(こう・さい)の色も日本人とは異なったため、1885(明治18)年には国産義眼が開発されましたが、値段の下がった輸入品に押されるなどして広がりは限定的でした。
1930年に実用化されたこちらの義眼は、東大の眼科に在籍していた中泉行正医師が製作したものです。ガラス職人らの協力を得て色ガラスの研究から始め、白目や瞳孔、虹彩、角膜など実物そっくりの色を表現し、接合しています。従来の義眼はいくつかの既製品から選ぶ方式でしたが、患者に合わせたオーダーメイドが実現しました。
9人が同時にいろいろな方向からのぞける「眼底鏡(ポリーオフサルモスコープ)」は、モニターがなかった時代に、京都大学の眼科学教室で使用されました。国内で現存する唯一の品と思われます。
技術の進歩で使われなくなった器具は忘れ去られがちですが、当館を訪れて「病を治そうとした先人たちの努力の歴史」を感じていただきたいです。
(聞き手・田中沙織)
《眼科・外科医療歴史博物館》 京都市下京区正面通木屋町東入鍵屋町340。午前9時~午後4時。無料。水曜日(月2回)開館。2週間前までに要予約。問い合わせは奥沢眼科医院(075・391・7721)。
管理者・小林昌代 こばやし・まさよ 1963年生まれ。京都市学校歴史博物館勤務などを経て2009年から館の管理を担当。 |