京都郊外、天王山の中腹にある当館は、大正から昭和初期にかけて建設された実業家の別荘を修復し、アサヒビール初代社長・山本為三郎のコレクションを中核として開館しました。民芸運動の支援者だった山本の収集品の中には木漆工芸家・黒田辰秋(1904~82)の作品も55件ほどあります。
祇園の塗師(ぬし)屋に生まれた黒田は20歳の時に柳宗悦らと出会い、民芸運動と深く関わります。27年に同年代の仲間3人と上賀茂神社近くで「上加茂民芸協団」を結成。寝食を共にしながら柳の指導のもと制作に励みました。
翌年、昭和天皇即位の礼を記念して東京・上野で開かれた博覧会に、民芸の同志たちはパビリオン「民芸館」を出展します。木造平屋の建築を含め、「手で培われてきた美」の再認識を提案するもので、協団にとって初の大舞台でした。
「欅拭漆(けやきふきうるし)食卓」は民芸館のために黒田が制作した木工家具類の一つです。食卓は三つに分かれ、左右をつなげば円卓になります。中央部は単体で戸棚としても使えるようになっています。
併せて制作された6脚の椅子はよく見るとそれぞれ少しずつ違いがあり、手作業ゆえの温かみが感じられます。椅子の背面と食卓の側板に透かし彫りされた井桁の文様は、柳が考案し、黒田が図案化した協団のシンボルマークです。
博覧会終了後、民芸館を丸ごと買い取ったのが山本為三郎で、大阪の自邸敷地内に「三国荘」として移築しました。「黒朱漆灯火器」はこの時追加制作されたもので、黒と赤の漆が効果的に使われています。黒田が灯火器を制作したのは若い頃だけで、貴重な作品です。
名匠と呼ばれ、65歳で木工芸分野初の人間国宝となった黒田ですが、20代前半には迷いながら木と格闘していたことがうかがえます。実験的なアイデアに挑戦した作品には、後年にない魅力があるように思います。
(聞き手・伊東哉子)
《アサヒビール大山崎山荘美術館》 京都府大山崎町銭原5の3(問い合わせは075・957・3123)。午前10時~午後5時(入館は30分前まで)。900円。2点は「没後40年 黒田辰秋展」(5月7日まで)で展示中。(月)休み(5月1日は開館)。
学芸員・野崎芙美子さん のざき・ふみこ 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。朝日新聞社文化事業部勤務を経て、2022年から現職。 |