幕末の京都は、倒幕・佐幕両派が活躍した場所。当館はそうした幕末から明治維新期の人々の史料や遺品約5千点を所蔵しています。
「近藤勇 詩書屏風(びょう・ぶ)」は、新選組トップ(局長)の近藤勇(1834~1868)が活動資金を援助してくれた京都の庄屋にお礼として贈った書です。元はふすまの裏に記された漢詩は「丈夫、志を立て関東を出づ 宿願成らずんばまた還(かえ)らず」。京都に出てきたからには……とはやる気持ちが感じられます。
農家に生まれ、剣術の腕を見込まれて剣術師範の養子となった近藤は、幕府が将軍警護のため募った浪士組に参加。間もなく分裂して後に新選組となる壬生浪士組を結成しますが、当初は資金が不足し金策に苦労したのでしょう。
書かれた文字は歴史家・頼山陽の文字によく似ています。武家の盛衰を記し当時ベストセラーになっていた「日本外史」の著者で、この本を愛読した近藤は、頼山陽そっくりの字を書く練習をしたそうです。小説などで剣術しか能がないように描かれることもある近藤ですが、努力家で、知的な面でもリーダーだったことがうかがえます。
右面と左面の末尾には表面が削られた箇所があります。当時、幕府側を支援する商人らを襲撃する事件が起こったことから、持ち主の庄屋が近藤の署名を削り取ったとみられます。
「土方歳三の絶句」は、箱館戦争で降伏した隊士らが詠んだ「箱館新選組隊士和歌集」の冒頭に収められています。近藤亡き後、新選組を率いて蝦夷(え・ぞ)地(北海道)に渡った副長の土方(1835~1869)が新政府軍の箱館総攻撃の前日、同僚らと別れの杯を交わした際に詠んだとされ、「今日は刀を照らしている月は、明日は自分のしかばねを照らすだろう」との意味です。
土方は「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらん」という辞世の句も残していますが、隊士の島田魁(かい)が記憶していたとされるこの絶句は生前最後の歌と思われます。
(聞き手・田中沙織)
《幕末維新ミュージアム・霊山歴史館》 京都市東山区清閑寺霊山町1。午前10時~午後5時半(入館は30分前まで)。2点は常設展示。企画展「結成160年 新選組奮戦録」を9月10日(日)まで開催。900円。(月)(祝日の場合は翌日)休み。
霊山歴史館 公式サイト
https://www.ryozen-museum.or.jp/
学芸課長・木村武仁さん きむら・たけひと 1973年生まれ。専門は幕末・明治維新期における政治史と思想史。著書に「京都を愉(たの)しむ 幕末のその日、京で何が起こったのか」(淡交社)ど。 |