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耕三寺博物館

シャープな顔 仏師・快慶の美形

「宝冠阿弥陀如来坐像」 像高74・8センチ 重要文化財
「宝冠阿弥陀如来坐像」 像高74・8センチ 重要文化財
「宝冠阿弥陀如来坐像」 像高74・8センチ 重要文化財 「佐竹本三十六歌仙断簡 紀貫之」 約36×約80センチ 重要文化財

 瀬戸内海の生口島にある耕三寺は、大阪の溶接技術者で実業家となった(こうさんじ・こうぞう)(1891~1970)が母の供養のため1936年から建て始めた寺です。収集した仏教美術などの美術品約2千点を一般公開するにあたって寺全体を53年に博物館とし、法宝蔵と僧宝蔵、分館・金剛館で展示しています。

 「宝冠阿弥陀如来坐像」は、伊豆山神社(静岡県熱海市)の常行堂に納められていたのが、何らかの経緯で手放されたものです。鎌倉時代の仏師・快慶が建仁元(1201年)年に作ったことを示す墨書が右足内側に残っています。

 常行堂は本尊のまわりをぐるぐる回る天台宗の修行を行う場で、その本尊は頭に宝冠をかぶった宝冠阿弥陀如来像であることが多いようです。この像では宝冠が失われ、その台座だけが残っています。

 一番特徴的なのは髪形で、髻(もとどり)を高く結い上げています。衣が両肩を覆う通肩(つうけん)というまとい方は通常、胸元がやや開いている形が多いですが、この像は首元がきゅっとしまっています。

 麻布の上に漆を塗り、さらに金箔を貼る木造漆箔(しっぱく)が施され、当初は全体が金色だったとみられます。うっすらと目を開けたシャープな顔つきで、快慶の美形な作りがよく伝わっています。

 「佐竹本三十六歌仙断簡 紀貫之」は、平安時代中期以前の代表的歌人36人の肖像画に代表歌と略歴を添えた絵巻物で、鎌倉時代に制作されました。秋田藩主・佐竹家に伝来し、1919年に1人分ずつ分割された1枚です。

 よく見ると、紀貫之の肖像が描かれた左側は紙にしわが寄っているのに対し、右側の詞書(ことばがき)部分の表面はきれいです。右側は江戸時代初期の絵師・狩野探幽によって修復されたと考えられており、このような補筆の跡が見られるのは、三十六歌仙の中で唯一とみられます。

(聞き手・本多昭彦)


 《耕三寺博物館》 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553の2(問い合わせは0845・27・0800)。[前]9時~[後]5時(入館は30分前まで)。1400円。無休。

よしだ まもる

課長補佐 若林正博

 よしだ まもる 広島大学大学院文学研究科修了。2007年から現職。

(2023年12月5日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)