今城塚古墳は6世紀前半に君臨した継体大王の真の墓と考えられており、淀川流域最大規模の前方後円墳です。1958(昭和33)年に国の史跡に指定されました。当館では今城塚古墳をはじめ、周辺の古墳時代の出土品を中心に常設展示しています。
「家形埴輪」は、今城塚古墳の特徴の一つ、埴輪(はに・わ)祭祀場(さい・し・ば)から出土しました。祭祀場は1~4区の四つに分かれていて、埴輪で当時の儀礼の状況を表した場所です。4区と3区は多くの人物埴輪や動物形埴輪がある中心的な空間で、2区、1区にいくにしたがい埴輪の数が減っていきます。一番奥の1区には、家、器台、蓋(きぬがさ)、鶏のみが配置され、亡き大王を安置した空間を暗示しています。
写真の家形埴輪は1区から出土したもので、入り母屋造りの屋根に円柱の柱と高床で構成され、祭祀に使われていた建物を模したとみられます。上屋根の両端には千木(ち・ぎ)と呼ばれる装飾がついています。下屋根の軒先には魚と水鳥が、身舎(も・や)の横桟には綾杉(あや・すぎ)文が描かれており、かなり手が込んでいます。鳥や魚は古墳時代のメジャーなモチーフの一つ。特に鳥は、当時は神聖な生き物として扱われていたので、重要視していたのかもしれません。
「岡本山A3号墳出土品」は、5世紀前半に築造された古墳の墓壙上(ぼ・こう)から出土した、土師器(は・じ・き)の椀形高坏(わん・がた・たか・つき)6点、有段高坏1点、直口壺(つぼ)2点、須恵器(す・え・き)の高坏、はそう、広口壺、高坏形器台各1点の一括資料です。全てまとまった状態で出土しました。
これらの土器は、はそうが須恵器高坏の上に載った状態で出土していることなどから、当時の供えられた位置からほとんど動いていないと考えられます。直口壺の容量は椀形高坏6杯分で、出土した器の数と同じため、実際にこれらの土器を使って、お葬式の後、人が集まって食べたり飲んだりする行為があったとうかがえます。
(聞き手・中山幸穂)
《今城塚古代歴史館》大阪府高槻市郡家新町48の8(☎072・682・0820)。午前10時~午後5時(入館は30分前まで)。無料。原則(月)、年末年始休み。
◆今城塚古代歴史館
https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/list8.html
学芸員 三好裕太郎さん みよし・ゆうたろう 1989年三重県出身、大阪大学大学院文学研究科修了。2022年から現職。 |