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佐喜眞美術館

沖縄戦の体験 死者に代わって

「沖縄戦の図」1984年 400×850センチ

  第2次大戦末期の激しい地上戦がテーマの「沖縄戦の図」全14部は、丸木位里(1901~95)、俊(1912~2000)夫妻の代表作の一つ。沖縄に滞在して多くの体験者の話を聞き、その人たちをモデルに描かれました。当館はこれらを沖縄に置きたいという夫妻の願いを受けて開館、全作品を所蔵しています。

 「沖縄戦の図」は連作中最大の作品です。左上は米軍が最初に上陸した慶良間諸島での「集団自決」の場面。くわを振り上げる少年は、自身の姉の命を絶とうとしています。

 左下は本島西側の海を埋め尽くした米艦隊です。墨が上塗りされて見にくいですが、実際に地形が変わるほどの艦砲射撃の硝煙でかすんで見えたといいます。

 戦火の中、大事な荷物を頭にのせて逃げる人々(右下)の風呂敷包みの中には腐りにくいみそやかつおぶし、死に装束とする一張羅の着物が入っていました。

 その足下、いくつもの骸骨の中に帽子をかぶった位里、おかっぱ頭の俊の自画像が紛れ込んでいます。死者の中に身を置き、その人たちに代わって絵を描くという思いの表れでしょう。

 全体にダイナミックな画面ですが、人物の着物の柄が非常に細かく描かれています。夫妻は宮古や八重山の上布など沖縄の布をたくさん借りて資料としました。中央付近の正面を向いた子どもの着物はツバメの柄。この地上戦の様相を世界に伝えたいという願いを込めたのではと思います。 体験を広め、記憶を伝えようとする意志は「沖縄戦―ガマ」にも強く表れています。避難したガマ(自然壕)で犠牲になった女性や子どものそばに立つ母子。母はその光景を、背負った子どもの目に焼き付けようとするかのようです。

 丸木夫妻が沖縄を初めて訪れたのは1978年。「来るのが遅かった」と感じたようですが、沖縄の人は死者の三十三回忌ぐらいまでは体験を話せなかったのでは。制作中は地元の人との交流も盛んで、2人は「みんなで描いた絵」と語っていました。

(聞き手・大庭牧子)


《佐喜眞美術館》沖縄県宜野湾市上原358(☎098・893・5737)。午前9時半~午後5時。900円。原則火曜日休み。

 

さきま・みちお

館長 佐喜眞道夫さん

 さきま・みちお 1946年熊本県生まれ。父母は沖縄県出身。75年から絵画収集を始め、84年に丸木位里・俊夫妻と知り合う。94年、佐喜眞美術館を開館。

佐喜眞美術館

https://sakima.jp/

(2024年6月25日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)