長崎は16世紀にキリスト教が伝来し、南蛮貿易の拠点として繁栄しました。長崎奉行所立山役所の跡地に立つ当館は、近世の海外交流史にまつわる資料を所蔵しています。
「南蛮人来朝之図(なんばんじんらいちょうのず)」は、南蛮人と呼ばれたポルトガル人との交易の様子を描いた南蛮屛風(びょうぶ)の一つ。作者は不明ですが、狩野派の絵師の手によるものとみられます。作品保護のため、通常は複製をご覧いただいています(写真は現物)。
左隻では、南蛮船の入港から貿易品の荷下ろしの過程を描いています。南蛮文化を受け入れていく町のにぎわいが伝わってくるのが、右隻です。侍の首にはロザリオがぶら下がっていて、当時の人々の風俗がわかります。
宣教師たちが歩く廊下の先には、十字架を掲げた瓦屋根。キリスト教の布教で日本各地に建てられた「南蛮寺」です。日本の寺院の雰囲気を残したのは、もしかするとイエズス会側の配慮なのかもしれません。
長崎奉行所は、国際貿易都市を治めるためにも大変重要な拠点でした。奉行所約200年の判決記録をまとめた「犯科帳」は、当時の司法制度のほか、「貧しさから家族のために薬を盗む」といった事件など、庶民の切実な暮らしぶりも垣間見えます。
1800年に起きた「ペーロン競漕(きょうそう)とけんか」事件。ペーロン大会は、木製の手こぎ船で競う長崎の夏の風物詩です。ルールを破ってぶつかってきた相手に対して、怒った松次郎が敵船に飛び込み、大乱闘の末多くの死傷者が出てしまった……という事件です。松次郎は島流し、仲間は町からの追放に処せられました。けんかざたが絶えずたびたび禁止令が出たペーロン大会ですが、伝統行事として今も残っている。情熱は変わらないんだなと思うのです。
(聞き手・田中沙織)
《長崎歴史文化博物館》 長崎市立山1の1の1(☎ 095・818・8366)。午前8時半~午後7時(12~3月は6時まで。入館は30分前まで)。630円。原則第1、3(月)((祝)の場合は翌日)休み。
長崎歴史文化博物館 公式サイト
http://www.nmhc.jp/
学芸員・深瀬公一郎さん ふかせ・こういちろう 1973年鹿児島県出身。2007年から現職。専門は江戸時代の国際関係史。 |