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小泉八雲記念館

近寄り見えたのは、夫婦の縁か

セツがフランス人教官からもらったルーペ=小泉八雲記念館提供

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(1850~1904)が『怪談』を出版して、今年で120年です。『怪談』は、日本の伝説や昔話を、物語として再構築した「再話文学」。外国で生まれ育った八雲が創作できたのには、妻の小泉セツ(1868~1932)の存在が欠かせません。

 八雲との出会いは、23歳のころ。家計を助けるため、住み込みで八雲を世話するようになり、やがて夫婦として暮らしはじめます。もともと物語が好きだったセツは、日本の伝説や物語の数々を、情感たっぷりに八雲に聞かせました。セツが語る「耳なし芳一」や「雪女」に、八雲は喜んで耳を傾け、『怪談』が誕生しました。『怪談』の表紙には、アルファベットで「KWAIDAN」と書かれています。これは、セツが出雲なまりで発音した「くゎいだん」を八雲がそのまま書いたものです。

 セツは江戸から明治への転換期、松江の士族の家に生まれました。幼かったある日、父が小隊長を務めていた藩の軍事教練を眺めていたら、フランス人教官が近寄ってきてセツの頭をなで、小さなルーペを手渡しました。この経験が外国人への違和感を取り払うきっかけとなったといい、セツはルーペを生涯大切にしました。後年、あの時の体験がなかったら、八雲と結婚することは難しかったかもしれないと語っています。

 当館には八雲愛用の机の実物もあります。左目を失明し、右目の視力も弱かったが、眼鏡を使わず、顔を机にこすりつけるようにして執筆していました。そのため、特注の机は通常より高く作られています。

 八雲は、弱かった視力を補うように、五感すべてを使って、物事を観察し、本質を探ることにたけていました。日本の人々の暮らし、自然、そして、かそけきものたちの声音や気配を感じ取り、八雲独自の世界ができあがっていったのではないでしょうか。

(聞き手・三品智子)


 《小泉八雲記念館》 松江市奥谷町322(☎0852・21・2147)。午前8時半~[後]5時(入館は20分前まで)、4~9月は6時半まで。無休(年6回のメンテナンス日をのぞく)。410円。

こいずみ・ぼん

館長・小泉凡さん

 こいずみ・ぼん 1961年、東京生まれ。八雲とセツのひ孫。島根県立大学短期大学部教授を経て現職。現在も県立大で日本文化論(妖怪文化)などを受け持つ。