大阪府の北東、奈良県境に位置する四條畷市は、旧石器時代には人が暮らしていたと考えられています。京都や奈良など、時の政治の中心地に近いこともあり、時代時代で外から持ち込まれた先端文化の痕跡が見つかっています。
古墳時代中期、讃良(さらら)と呼ばれたこの地に朝鮮半島から馬と飼育技術が伝わりました。飼育に適した環境で、馬を大和王権に供出する牧場の役割を担ったのです。
1988年、馬飼いの人々の集落跡とみられる忍ケ丘駅前遺跡で、子馬形埴輪(はにわ)が出土しました。「子馬ちゃん」と親しまれるこの埴輪は当初、犬形埴輪として紹介されていました。子馬の埴輪は先例がなく、重要な手がかりとなるしっぽが欠け、馬形埴輪特有の鞍(くら)もなかったからです。しかし、奈良県で裸馬の埴輪が確認されたことや、ひづめやオスの性器の表現、ずんぐりとした体形に丸みを帯びたあどけない表情など、様々な考察を重ね、子馬形埴輪と断定しました。
胸や肩の造形など、日ごろから馬をよく観察していた人が作ったのでしょう。子馬を慈しみ、愛らしい姿を形に残した当時の人々の姿がしのばれます。
日本で子馬の埴輪は1体だけ。貸し出しで多忙な子馬ちゃんに昨年、「弟」ができました。大阪電気通信大の学生が3Dプリンターで作ったレプリカに、当館職員が本物そっくりに色付けしました。子馬ちゃん出張時は留守を守っています。
四條畷では、確認された中で国内最古のキリシタン墓碑も出土しています。戦国時代、ここでは多くの武士や領民がキリスト教を信仰していました。墓碑の主、田原レイマンもその一人。「天正九年」(1581年)や洗礼名と考えられる「礼幡(れいまん)」の文字が刻まれています。彼の死後、豊臣秀吉によるバテレン追放令以降に、墓碑は菩提(ぼだい)寺の土塀の内側に埋められました。弾圧で墓碑が破壊されるのを避けようとした誰かが、この場所を選んでそっと隠したのではないでしょうか。
(聞き手・三品智子)
《四條畷市立歴史民俗資料館》大阪府四條畷市塚脇町3の7(☎072・878・4558)。[前]9時半~[後]5時、原則[月]([祝][休]の場合は翌平日)休み。子馬形埴輪(実物)は9月以降、他館へ貸し出し予定。
![]() 館長 野島稔さん のじま・みのる 大阪府出身。四條畷市教育委員会文化財専門職員として遺跡調査に従事。2012年から現職。 |
四條畷市立歴史民俗資料館