意匠化しながら写実を感じる梅の花。墨をにじませる「たらし込み」で巧みに表現された幹。一幅の名画を見るような白繻子(しゅす)の着物は、江戸琳派を確立した絵師、酒井抱一(1761~1829)がじかに描き下ろしたもの。国の重要文化財で、当館自慢の一品です。
絵師が直接絵を描いた着物は「描絵小袖」と呼ばれ、江戸中期以降に流行します。特に尾形光琳ら人気絵師に描かせることはステータスの証しでした。現在確認されている大物絵師の作品は世界で5枚。うち2枚が当館にあります。
抱一作の「梅樹下草模様小袖」は鳥取藩主池田家伝来の着物で、画風から19世紀初頭の作と推測されます。根元にタンポポやスミレが咲く梅の木は、C字形にしなっています。当時、着物の図案の立ち木は逆C字形に描くのが定番。あえて逆にした抱一の絵師としての矜持(きょうじ)を感じます。
特筆すべきは、背から肩を経て前身頃まで伸びた枝の描写です。平面の梅の木が、人が着ることで立体になるように表現したのだと思います。着物をよく理解してこその、意欲的な立体芸術と言えるでしょう。
もう1枚の「楼閣山水模様小袖」は、呉春(1752~1811)の作品です。題材にした中国の風景からは、師匠の与謝蕪村の影響がみてとれます。滑らかな繻子ではなく平織(ひらおり)の絹地なのも特徴的。布地の目の粗さを利用し、墨のかすれや落ち着いた色調といった南画の表現を追求したと考えられます。呉春は着倒れの町、京都の出身。右肩上がりの柄行きも当時の着物のルールを守っていて、抱一とは別の意味で着物を分かっているなと感心します。
2枚の描絵小袖は、美術商・野村正治郎(1880~1943)のコレクションです。日本の美術は、西洋と比べて工芸との垣根があいまいで、着物はそれを体現した物だと思います。日本の着物の美術的価値にいち早く気付いた彼は、ジャポニスムに沸く欧米に着物を輸出した一方で、貴重な品の流出を防ぐべく、収集にも努めました。装飾品含め1千点超の野村コレクションを収蔵する当館では、功績をたどる企画展を開催中です。2枚同時に見られる貴重な機会。美術としての着物を堪能して下さい。
(聞き手・帯金真弓)
《国立歴史民俗博物館》 千葉県佐倉市城内町117。[前]9時半~[後]4時半(入館は30分前まで)。原則[月]([祝][休]の場合は翌平日)、年末年始休み。「野村正治郎とジャポニスムの時代」は12月21日まで。千円。ハローダイヤル(050・5541・8600)。
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研究部情報資料研究系准教授 澤田和人さん さわだ・かずと 1973年生まれ、兵庫県出身。98年大阪大大学院文学研究科芸術史学専攻博士前期課程修了。同館助手など経て2009年から現職。専門は染織史、服飾史。 |
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