埼玉県の県名の由来となった特別史跡「埼玉古墳群」は、9基の大型古墳が密集しています。中でも最古の前方後円墳「稲荷山古墳」(5世紀後半)から1968年に出土したのが、国宝「金錯銘鉄剣」です。10年後のX線撮影で、剣の両面から115の金文字が現れ、「世紀の大発見」と話題になりました。
金象嵌で刻まれた銘文の趣旨は「辛亥の年の7月に記す。乎獲居臣は、獲加多支鹵大王が天下を治めるのを補佐した」というもの。「辛亥の年」は西暦471年、「獲加多支鹵大王」は雄略天皇と考える研究者が多いようです。
この大王の名は熊本県・江田船山古墳から出土した同時代の鉄刀でも確認でき、ヤマト王権の勢力が広範囲に及んでいた裏付けとなりました。古代国家の成立過程を語る上で不可欠の史料です。銘文は漢文風の記述に和文の読み方が入ってくる最初期の記録でもあります。
出土後、鉄剣は酸素に触れて劣化が深刻になり、当館の前身のさきたま資料館は奈良市の元興寺文化財研究所に保存処理を委託しました。この作業中、銘文が見つかったのです。歯医者が使うような機械やカッターナイフを駆使して、さびをはがしたと伝わっています。
処理の過程で、文字の部分はV字形に刻まれた溝に金線が打ち込まれていることも分かりました。後の時代の金象嵌では、金線がはがれ落ちないよう、断面は理科実験用のビーカーを逆さまにして、横から見たような形で、刻み目の底部がそれより上の部分より幅広となるように刻まれます。これに比べ、V字形の断面では金線がはがれやすいのですが、なぜ約1500年も残っていたのかは謎のままです。
処理から約40年、鉄剣は窒素を流し込んで、さびの元となる酸素を追い出す特別なケースで公開され、金象嵌の文字も間近で見られました。約2年前からケースの更新作業をしていて、今はレプリカを展示中です。新ケースは気密性がより高く、酸素は検出限界値未満にできます。来春には、実物展示を再開したいと思っています。
博物館では、同時に出土した国宝「画文帯環状乳神獣鏡」なども展示しています。小中学の教科書にも載っている史料を出土地で見られることは、古墳群の歴史的価値を実感でき、意義深いことだと思います。
(聞き手・川崎卓哉)
《埼玉県立さきたま史跡の博物館》 埼玉県行田市埼玉4834(☎048・559・1111)。午前9時~午後4時半(7月1日~8月31日は5時まで。いずれも入館は30分前まで)。200円。原則月曜日と年末年始は休み。
館長 野中仁 のなか・ひとし 2024年から現職。専門は保存科学。新ケースへの更新は、前回さきたま史跡の博物館に勤務していた17年ごろから必要性を訴え、館長着任前から携わってきた。 |