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最澄ゆかりの比叡山延暦寺とその周辺をめぐる(4)

 ◆2020年大河ドラマの主人公・明智光秀の菩提寺 西教寺

 横川に通じる登り口付近、眼下に琵琶湖を望むことができる天台真盛宗総本山・西教寺(さいきょうじ)。境内には、阿弥陀如来が安置された本堂や伏見城にあった旧殿を移築した客殿(いずれも重文)や宿坊、書院などが立ち並ぶ。618(推古26)年に聖徳太子が師である慧慈、慧聡のために創建したと伝わる。当時は「大窪山」と呼ばれ、天智天皇から669(天智8)年に「西教寺」の号を授けられた。しかし、延暦寺が建立、興起するに至るまでの約200年の間で寺は荒廃。救いの手となるべく、18代天台座主の良源が念仏の道場として再興した。以降、恵心僧都源信、恵鎮円観、慈攝大師真盛といった延暦寺の高僧が相次いで入寺し、今に守り継がれている。

明智家の墓

 1486(文明18)年に寺に入った宗祖の真盛は、堂塔と教法を建て直し、「戒律を守り、称名念仏に励む」という戒律二門の不断念仏の道場とした。真盛は説法がうまく、朝廷や公家、武士、民衆まで幅広く信仰を集めたという。光秀も教えを請うた一人。焼き打ちの後、信長の命で山門の監視役として坂本城主となった光秀は西教寺の檀徒(だんと)となり、復興に大きな力を注いだ。その功業は、坂本城の城門を移築再建した総門、鐘楼堂に納められている城の陣鐘だなどからうかがえる。また境内の一角には、妻の熙子(ひろこ)をはじめ一族の墓があり=写真=、寺との深い関係を物語る。1946(昭和21)年に「天台宗真盛派」から「天台真盛宗」へと改められ、今では全国に400あまりある末寺の総本山となっている。

 境内を巡ると、ここでも猿の使いの像が目にとまる。西教寺では「護猿(ござる)」と呼ばれ、本堂には「身代わりの手白猿」の姿がある。1493(明応2)年に馬借一揆が起こった際、真盛が首謀者だと疑われ、山門の僧兵に攻め入られたが人影はなく、一匹の手白の猿が鉦(かね)を鳴らし続ける音だけが響いていたという。僧兵は、日吉の使者の猿までが、不断念仏の教化を受けて念仏を絶やすことなく唱えていることに感心し、その場を後にしたという逸話が残る。

 西教寺の宿坊である実成坊住職・中島敬瑞さんは「坂本といいますのは神仏融合の町。地元の方は、延暦寺にも、日吉大社にも、西教寺にも参拝されますし、それぞれが共存していいバランスを保っています」と話す。

 神と仏、古と今、静と動など、それぞれが共生する――。独自に育まれた歴史や伝統がいぶく坂本。ぜひ、自分の肌で感じてみてほしい。

 

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日吉茶園

 坂本比叡山駅すぐ側、110平方メートルほどの土地に約20本の茶の木が息づく「日吉茶園」=写真=がある。805(延暦24)年、最澄が天台山から茶の種を持ち帰り、植えたのがはじまりとされる日本最古の茶園。今でも、山王祭での「献茶式」や、最澄の命日(6月4日)の法要「長講会(ちょうごうえ)」などで献じられている。日本茶の起源の地で心を落ち着けてみてはいかがだろう。この茶園から枝を分けて栽培された「幻の茶」がある。1858(安政5)年創業、大津市中央の旧東海道沿いに店を構える中川誠盛堂茶補(電話077・522・2555)のその名も「日吉茶園」だ。「独特な香りと柔らかな味わい」だと、店主の中川武さん。

 

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