GS(グループサウンズ)は最初のきっかけを言うと。テレビ番組「8時だョ!全員集合」で知られるザ・ドリフターズの映画をテレビで見て、そこにザ・タイガースが出てくるシーンがあった。「モナリザの微笑」を聞いたかな。ジュリー(沢田研二)も全盛期だったんですけど、ジュリーがグループにいたってことでびっくりし、GSというジャンルを知った。
GSというのは、タイガースに象徴されるような、少女漫画の夢の王子様みたいな世界観でした。フォークは、かたやリアルな生活臭漂う、自分の将来像のあこがれと不安、みたいなものだったんですけど、GSは逆で、まったく非現実的。歌の世界観もお城であったり、白鳥だったり、王子様だったり。GSは歌の世界も少女漫画や絵本のような、本当に奇麗な世界ばっかりを描いた、シュールな非現実の世界。歌ってる人もタイガース時代のジュリーに象徴されるような美少年・美青年。そこにもシビれてしまう自分がいました。本当に美しい世界観にはまっていったんです。ビジュアル的にも美しく、なおかつ現実逃避できるものの象徴がGS。自分で初めて買ったカセットテープもGSでした。
ガロというグループも好きでした。ジャンルで分けるとフォークにはなっちゃうんですけど。少女漫画的なビジュアルで、実際、ガロのメンバーはGSあがりの人なんです。だから、GSの世界観を持ったフォークグループだったと思うんです。当時、メンバーの日高富明が転落死したというニュースが、ワイドショーではトップで扱われるほどで。自分はそのニュースでガロを知ったんです。美しいビジュアルのままで30代くらいで亡くなられたので、そこにある種のあこがれがあったりして。人間は老いていくから、大人になることへのあこがれと不安というなかで、自分がオヤジ化したくないというものがあった。
GSは、本当に激しくはかなく消えた音楽なんです。ものの2年くらいなんですよ、ブームだったのも。美しく散った、みたいな表現がぴったり。GSを聞くと、いつでも夢の世界に行ける。
中学にあがると、GS研究家の黒沢進と文通をしたんです。実際に会ったのは、僕が東京に出てきた30代になってから。会って間もなく亡くなられたんですけど、その方がいろんな人に紹介してくれて、ライブハウスなどに出られるようになって、今の自分のビジュアルやキャラクターもその頃に作られた。そういう意味では自分の原点はGSだったのかも。
GSっていうと、コンサート中にファンが熱狂して失神っていうのがあるんですけど。自分は「失神をしてくれ」っていう役割でライブハウスに出るようになりました。元々、普通にムード歌謡を正装で歌ってたんです。髪も短かったし。「夜をまきもどせ」のミュージックビデオを撮影した頃も短髪ですね。それが「GSをやれ」と言われるようになって、どんどん変わっていった。長髪にしたのも東京に来てから。GSのパロディーみたいなことを始めて、芸人につながっていった感じがあります。
(聞き手 大野紗弥佳)
・森田公一とトップギャラン……1969年結成。歌手で作曲家の森田公一と5人のコーラスと演奏によるグループ。 |
たぶれっと・じゅん
歌手、芸人。1974(昭和49)年8月31日、3人きょうだいの末っ子として相模原市に生まれる。小学生の頃、台所で母が聞いていたAMラジオをきっかけに昭和歌謡に深く親しむ。高校卒業後は古書店や介護職、歌声喫茶の勤務を経て27歳の時に「和田弘とマヒナスターズ」に加入する。解散後はソロとなり、「ムード歌謡芸人」としてライブや漫談、ラジオパーソナリティーなどで活躍中。 |
タブレット純のサイン入り色紙を5人に、 ※応募には朝日マリオン・コムの会員登録が必要です。以下の応募ページから会員登録を行って、ご応募ください。
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